今回は以前書いたブログの、さらに過去編です。
ちなみにこちらがそのブログ。(リンクを貼る、を覚えました)
pinaforedress.hatenadiary.jp
高校の時のお話。
思い返せば、私は高校の三年間が一番いろんな方に迷惑をかけていた時期だったと思います。
特に一年生の時の担任の先生には、非常にお世話になりました。
ここではやっていけそうにない*1かもと沈み切っていた自分が、卒業までこの学校で頑張ろうと思えたのも、この先生の存在が大きいです。
本当に、今までの自分の性格が変わったというか、光も見えない洞窟をさまよっていたような時代だったので、先生方に導いてもらえなければ、今は何もできなくなっていたと思います。もちろん両親にも…よく見捨てずにいてくれたなと、思い出すだけで苦しくなります。
その担任の先生は、私たちが二学年に進級すると同時に他の学校に行ってしまいました。
(そしてその後も出席日数*2ギリギリでいつも生きていましたが長くなるので書きません。)
時は流れて高校の卒業式。たくさんの人に支えられ、無事にこの日を迎えることができました。
朝教室に入ると、当時の担任の先生に呼び出されました。
一年生の時の担任の先生が来賓として来ており、式の前に私に会ってくれるそうだと言われました。
私の記憶では、階段の踊り場を見上げた先に先生がいました。
久しぶりに会った先生は、踊り場の窓を背にして後光が差しているように見えました。
ここまで頑張ってこられたのを伝えられる嬉しさや、わざわざ時間を設けてくれたことへの感謝や、今までのいろんな思い出が一気に押し寄せました。
話すことはできたと思いますが、もういろんな感情でoverwhelmed
最後のショートホームルームのために教室に戻り、私の顔を見た友達に「デラシちゃん泣いてるー」と言われたのをよく覚えています。
卒業式の日に泣いたのはこれが最初で最後でした。式の最中ではないけどね。
どんなに辛い日々だったとしても、完全に元通りになることはないけど、そんな自分も含めて自分なんだなーと。
今ではまるっと認められるようになりました。
いい思い出だった、と簡単に言えるものではないけど、それでもやはり私がいた高校も愛する母校です。先生がみんないい人ばかりだったし、生徒も素朴で優しい人が集まってるって感じだった。
~本日の知らんがな~
お世辞にもお洒落とは言い難い制服だったけど、ジャンスカのベルトにカラフルなラインストーン付きのヘアピンを差しておくのが好きで年中そのままでした。